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カナダ自転車横断日記 その39
前の更新から3年半…
なかなか終わらないカナダ横断の日記w
1994年7月30日まで来た。
8月6日
あと1週間で終わるんだけどね
なにか途中でやめたみたいで、ちょこっとだけ後悔しているような
すぐに続きに行くつもりが26年がたってしまった。
今までの横断日記
では
続きです。
1994年7月30日31日?
今日はきっと日本人に会えるだろう
19日にウィニペグを経ってから11日間 日本語で会話をしていない
英語でははなしているけど、あまり深い話が出来ずに困っている。
人間は言葉がつかえないと、かなりストレスを感じるようだ。最近気がつくと独り言を話していることが多い
ある時は風に語りかけ ある時は動物に話しかける
とにかくヤバい ヤバいという自覚はある
英語では話しているけれど英語も言葉に変わりはないのだけど
僕にとって英語は言葉というよりも
覚えたてのジェスチャーといった感じで非常にぎこちない
誰かに話を聞いてもらいたい、最新の話題なら頭の中にいっぱいなのに
どこか世間とはズレているけど、とにかく誰か
トロントまで順調なら5日というところだけど
とにかく誰か話を聞いて そうしないと僕は今にも潰れてしまいそうだ。
途中では雷雨に遭って21時ころにスーセントメリーに到着した。
スペリオール湖の湖岸に足止めを食ったせいだ。
今日のルート
町につくとすぐにユースホステルに向かった。フロントに飛び込んだ
日本人は泊っていますか?日本語が話せれば誰でもよかった。
答えはNO!
何度も聞き返した
でもNOだった
一瞬で力が抜けた。
ここへ来れば日本人に会えると思って頑張ったのに どうやらトロントまで700km
もう日本人には会うことは出来ない
夜は出会いを求めてダウンタウンを1人で歩き回った。
誰と話すでもなく2時間 時刻は0時となったけど僕はまだ街中を歩いた。
結局
日本人はいなかった。
サンダーベイから休んでいない疲れた。
明日もこの町でゆっくりしたいと思う
もしかしたら日本人が現れるかもしれない
44日目
Montreal River→Sault Ste Marie 120.4km
今日のはあまり面白くないけどすごく気持ちが揺さぶられていた時期の日記
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カナダ自転車横断日記 その38
前の更新から3年…
早くこの旅
終わりにしないと
旅自体はあと1週間なんだけど、このブログの中ではいつ終わるのか
1994.7.30
きのう真っ暗闇の州立公園を抜けて、バイク野郎の焚火の輪の中に飛び込んで貴重な体験をして
疲労から爆音のロックの音楽の中で眠りについて
いつも通りに朝が来て目を覚ますと
きのうの不良の集団はあとかたもなく居なくなっており、また何か僕は取り残されたようなそんな寂しさに襲われながら
Montrealriverをあとにした。
いよいよ
大きな町
アメリカとの国境 ツインシティーのSault Ste Marieに到着する
やっと日本語を話せる
もう2週間以上日本語を話していなかった。
反面
僕の足りない英語は多少の進歩は見せたけど、それは言葉というよりは覚えたてのジェスチャーのようなものに過ぎず
非常にぎこちない
誰かに話を聞いてもらいたい…
最新の話題なら
他の誰よりも僕の中に詰まってる
アタマの中は、大きな町へ行けば日本人に会える
それがすべてになっていた。

わずか120kmであったが、途中で雷雨に遭い、Sault Ste Marieに到着したのは夜の21時を回っていた。
僕はすぐにユースホステルに向かった。
ユースホステルの前で話しかけてきたオジサンがしきりに僕の脚を褒めて
お前はレスラーになれ!
気に入った今日は家に泊めてやると、かなり熱心に誘ってきてくれたけど
どうも聞くと俺の部屋に一緒に寝ようみたいなニュアンスで、この人いい人かもしれないけど…
もしかしたら ちょっとあっち系の人かも、そう感じたので
断って少々高い21ドルのユースホステルにチェックインした。
当時の僕は
なぜか、あっち系の人に結構モテたというか、完全に僕は女子が好きなのに
僕は女子よりも男子に好かれることばかりだな
そうよく感じていた。
フロントの係りはここに日本人はいないと言っていたけど
気が付いていないだけかもしれない
そう思ってホステル内を無駄にうろついてみたけど、やはり
ここに日本人はいなかった。
ここへ来れば絶対に日本人に会えると思ったのに
そう思って雷雨を凌いで頑張って今日ここへ来たのに
もう僕はこの先あと700kmトロントまで日本人には会えない
そう思うとどうにもやりきれず
時計は22時を回っていたけど、僕は街に出た
無駄に歩きまわり、0時を回り人がほとんど歩きまわらなくなってもまだ
どっかに日本人がいるかも
そう思って、街をうろついた。
結局…
僕はその後3日間
この街にとどまったけど
ついに、日本人は現れなかった。
話せると思った日本語を話す相手は見つからず
疲れもあるものの
次の日こそ日本人は来るかもしれない
そんな期待を胸に留まっていたけど
3日もすると僕の肉体的な充電は完了し
もうトロントまで日本人に会えなくてもいいや
そもそもここはカナダだし
何を言葉にこだわるなよ
僕のあたまはそう切りかわり
僕はこの町を出る事にした。
日記にあるけど僕は何もすることがなく毎日無駄に何度もカナダとアメリカの国境の橋を渡っては
日本人を探しまわり
4度目のカナダ入国では係の人と激しく口論になり
別室へ
懲りずに再びアメリカに入国
5度目、反省しておとなしくまたカナダへ入国したけど
結局また別室へ…
今考えるとね
その時は至って真剣に話し相手を探して1日に5度も国境の橋を行き来していたようだけどね

冷静に振り返ると
あの時絶対に精神いっちゃってたよね(笑)

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前回までの流れお暇な方はどうぞ!
カナダ自転車横断日記 その37
順調なら僕は今 第2関門を越えた頃
ゼッケンは4028だよ
日本山岳耐久レース(24時間以内)長谷川恒男カップ
1994.7.29
残金は2ドルだった
ほとんどが森の中だし関係ないけど やっぱお金がないと心細い
次の町まで65km 町にCIBCのマシーンがあるといいんだけど
お金が全てではないけど2ドルはさみしいね 20ドルなら安心だけど
なんとなく心細いけど 町に行かないとお金も使えないわけで Wawaという町で現金をおろした
そして それだけでこの町は出た
するとすぐにスペリオール湖州立公園へ入っていった
ここに突入すると120km先まで町はない 地図で見てもひとつも町はなく あるのはいくつかの観光地
あとは森と湖 森と湖も
これだけ多いと…

飽きる…
建物はほんとにない
というか
ほんとに100km以上なかった(笑)

景色も
ずっと森と湖だから写真は1枚しかない

120kmは 普通に走っても5時間はかかった
そして道は平坦ではなく いくつかの丘をまっすぐに貫く峠道というよりは
全部が見える直線の坂道登りは たいてい2~3kmはあった
冷静に考えると
100kmも人がいない 住んでいないってことは動物天国なんじゃない?
あ~だから州立公園なのか…
待てよ
野宿どこでしよ 動物のこなさそうなところ
どう見ても どこにでも出てきそうだし
道を走るこ車もまばらだし
ヤバイな~ ヤバイな
そう考えてると州立公園もあと20~30kmというところで完全に真っ暗になってしまった
自転車の夜間走行は無理
それが常識だと思っていた だからライトも持っていなかった
暗くなってから野宿の場所を探すだけの能力は僕にはなかった
仕方なくあと数時間 真っ暗な森の中を懐中電灯のわずかな明かりを頼りに走る
今のようにLEDなどはなく オレンジ色のかすかな明かり
霧も立ち込めて 数メートルしか視界はなかった 道路の白いラインだけを頼りにフラフラと走っていった
こんな状態では すぐ前に熊が現れても気がつかないで進んじゃうし
人間って ホントに暗い状態が一番怖いなと思った どう見渡しても明かりらしいものはなく
ホントの意味で真っ暗だった 目を閉じてみても それがあまり変わらないというか
なにか自分で音を出さないと 静かにしてると あちらこちらで物音がして
動物がここにいるのは明白だった
顔面は硬直して
ただただ 走り続ける時間が1時間以上続いた
なんとなく気絶して そのへんに倒れてしまったほうがいいのかもとか考えたけど
そうこうしていると ついに明かりが見えた
レストランがあった 時間は23時になろうとしていて 当然店は閉まっていた
僕は必死にレストランのドアを叩く
不機嫌そうに出てきた おじさんに
こんなに真っ暗では もう走れない自転車だし…
ここにテントを張らして欲しい 必死にお願いした。
すると しばらく考えて 裏へ行って張っていいよ そう言ってくれた
僕は彼が神様に見えた なんでもお願いしてみるものだなあと思った。
裏へ行き しばらく行くと ハーレーが何台も止まっていて
やばい感じだった どう見ても不良だし 火を囲んでなんかロックをガンガンかけて
僕はその横を静かに通り過ぎて 奥に向かって
目立たないところにテントを張った
しばらく僕は眺めていたけど 彼らの飲むビールがどうにも美味そうで
勇気という感じとは関係なく 本能的にビールをめがけて進んでいった
ビールをくれ!
たぶんもうちょっと マシな表現で笑顔で言ってみた
ここまで来て もう何がって感じではなかった
すると彼らは 子供はビールはダメだと 馬鹿にしながらジュースを2本くれて輪の中に入れてくれた
30分くらい色々と話した
酔っ払ってるから イマイチ言葉がわかりにくかったけど
面白かったのは
どこから来たんだ? バンクーバーからだよ
ふ~ん
反応はあまりなかった
それでどこへ行くんだ? トロントさ
えートロント?お前トロントがどれだけ遠いのか知ってるのか?
全員が身振り手振りを交えて トロントが遠いという話を語り始めたけど
彼らが 同じ国の西のはずれのバンクーバーがその数倍も遠いことは知らなくても
この人たちは暮らしていけるんだなと思ったら
とても新鮮な気分になった
いい国だなと思った。
それから先は僕にトロントまでの道のりのレクチャーが始まって
とても楽しい時間を過ごせた 知らない土地でシャイは良くないと頑張ってよかった
あまりにスラングがすごくて ほとんどの言葉がわからないので
12時を回ったし
僕はテントに戻った 夜通しロックがガンガンなっていたと思ったけど
翌朝
目を覚ますと 何もなかったかのように誰もおらず
昨日の思い出が ずっと前のことのように感じられた
43日目 (走行27日目) Whiteriver~MontrealRiver 181.2km

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カナダ自転車横断日記 その36
日本山岳耐久レース(ハセツネ)71.5km
走りきれるのか このレースってタイムを意識するので
結構 気持ちがきついなあ
どうでもいいから完走すればいいやっていう初回とは明らかに違う緊張感
向き合うのは嫌でこれってわけじゃないです。
8割くらい(笑)
そうだけど
1994.7.28
何度も書くけどオンタリオ州は豊かなところだ 自然がいっぱいで森と水が広がる世界
この先はどうなんだ? そう考えると どんどんとペダルは進む
草原の時もそうだったけど 小さな変化でも どれだけ救われるか 単調は人間ツライ
色々と考えてるうちに あっという間に100km進んできた
ホワイトリバー
ここは昔 カナダ一気温が下がるところだったらしい
-60度とかだったか?
ちなみにさっきみたら

0度だった(笑)
そしてプーさんが生まれた街って書いてあった 本当か?
まあ
それはいいとして
とても寂しい町だった 町に1軒だけあるレストランA&Wで夕食をとった。
どこへ行っても僕は一人だった…
夕食の時間 僕は一人は好きだし 普段は何も感じないけど この日は妙に気になった
まわりは家族連ればかりディナータイムだし いつものことだけど なぜかはわからないけど
この日は寂しかった。
こんなにさみしい気持ちを感じたのは おそらく生まれて初めてだった
夕食を食べてる人達はとても幸せそうに見えて こんなにたくさんの人が同じ空間でいるのに
誰も僕を知らない 自分的には凄いことをしてるのに この中のだれも関心も持っていない
いつも通りだったけど この日は嫌に気になった
とても悲しい気持ちになって 自分で気持ちをコントロールすることは困難になって
この空間に自分が存在してること自体が不思議にすら思えてきた。考えてみれば僕はウィニペグから10日間 日本語を一切話していなかった。
毎日
数人だけ










頑張れよ ありがとう

毎日毎日そんな感じ
このように声をかけてもらえるだけ幸せなんだけど 当たり前になりすぎて
もっと違う話をしたくて
楽しい 面白い話なら1日中でも出来るくらい毎日が充実してる反面 誰ともそれは共有できず
いつも話す相手の興味は僕ではなく自転車
外国にいるんだ10日間 言葉を話せなくったって なんてことないと思うんだけど
1日中 ほとんど人にも合わない森の中の10日間は 想像以上に長かった。
そして 話したい伝えたい 知識や情報は僕の中に湧き出る泉のように溢れていった
何かが溢れ出しそうで 不思議な世界に僕はトリップしてしまっていた 考えても答えは見つからず
店の外へ出て ウロウロしていた
すると50mほど先から 野犬がものすごいスピードで向かってきた
僕は一瞬逃げたけど どう考えても追いつかれるし
走るのをやめると 瞬く間に目の前までやってきた。
今の僕には逃げたり 威嚇したりそんなことも出来るだけの余裕もなく
気持ちだけが追い込まれてるというか
立ち止まり ただじっと成り行きに任せることにした 犬は2~3mのところまでは来たけど吠えまくって
そして うしろを気にしながら離れていってしまった。
なにか
犬にまで相手にされなかった自分が何故かさらに悲しくなった
これはダメだ
そう思って 何かを考えることはやめて 自転車で再び走り出した
あとで考えれば考えるほど さっきの犬のことは怖くて ガタガタと震えていたような気がする
ホワイトリバーから40km いくつもいくつも登りを越えて
小さな湖に たどり着いた

ここまでの道は 今思い出すととてもきれいな道だったけど
もったいない気持ちで進んできてしまった。
なんとなくダメな自分を写真に撮ってみた

あとで現像したら そんなにダメな自分はそこには写っていなかったけど
この時は開き直った どうでもいいやっていう気持ちで
薄暗くなって 見えなくなる前にシャワー代わりに湖でしばらく泳いだ
水は意外に温かく なんとなく疲れ足りないわけではないけど 真っ暗になる直前まで泳いでみた
真っ暗になってテントへと入ってみたものの 風も全くなく
静かすぎて 水辺には星空がそのまま映っていた
幻想的というのはいい感じの表現で 誰ともそれを共有することのできない静寂は
不気味以外の何者でもなく
それは動物も感じることなのか そう遠くないところでオオカミが何度も何度も遠吠えをしていた
怖いからラジオをつけたけど
電波なんか届く訳もなく
それでも人工音があるだけで 少し救われるような
大音量の砂嵐音で僕はさみしさから逃げた
誰か そばに来てくれ 一人でいることの恐怖は想像以上で
とにかくあと2日 スーセントメリーへ行けば日本人がいるはず
そう思って眠りについた。
42日目(26日目) Marathon~WhiteRiver~? 149.2km

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カーボローディングは順調
ハセツネは天気も良さそう
あと2日

カナダ自転車横断日記 その35
今年のハセツネは僕にとって恐怖でしかない
理由はわからない
うまく走りたいとか思っているんだろ
ああ…
神様…
1994.7.27
今日は150kmはいけると思っていた
走り始めて すぐに2人乗りの自転車とすれ違った 彼らによるとこの先は
いくつもいくつも大きな山が延々と続くということだった
でも
僕は1ヶ月前にロッキー山脈を越えてきたんだ大丈夫 そうは言わなかったけど心の中では そう思っていた
そして言われた通りに2つ大きな坂があった

昨日と同じ写真

似たような場所は続く
そこを越えた場所にピクニックグランドがあった きのうは僕はシャワーも浴びていないし スペリオール湖で泳いでみることにした ここはちょうど砂丘になっていて 水辺では子供たちが遊んでいた
でも
彼らが水に入らない理由は僕が水着に着替えてからわかった
やー
なんというか 命の危険を感じるくらい冷たい…
五大湖の中でも一番北にある湖だし 雪解け水とか?
でも
ベトベトするし 子供たちを含め なんとなく期待に満ちた視線も感じたので
心臓マッサージを本気でやって 1人で奇声をあげて飛び込んだ
奇声をあげて飛び込むのは 真冬のバンクーバー
寒中水泳以来 あの時は気温が7度 水温の方が暖かかったけど
今回は違っていた でもあの時のやってやった感も なかなかだった
あの時は日本から彼女と親友が2人遊びに来ていて そんなことも少し思い出したけど
今の自分の心臓が止まりやしないか?
そっちのほうが気になって そしてなにか爽快だった
おそらく
僕がこの冷たい水で でも全身にこびりついてるであろう垢をこすり落としてる姿は
滑稽だっただろう ヒューとか声かけられたので ちょっと調子づいて
溺れてるように動き回った(笑)
リアルにカラダ洗ってるとみられるのもなんだったし
そしてこの冷たい水に浸かりながら 今までもこうしたらよかったな…
無駄なお金を使ったと思った
自然の国だ楽しめばいい ジルが言いはしなかったけど そう教えてくれた
だから 僕はこうしてお昼だろうが 先に進むこと距離を進むことばかりにこだわらずに
一番いい時間に 湖で遊んでる

森と湖 これがオンタリオの印象だ
体を洗ったあとは
寒かったし日差しは強いので30分くらい岩場で日光浴をした
僕は当時 海の男だと思ってウィンドサーフィンをやったりしていたので日焼けしてる自分が好きだった(笑)
この旅行はワイルドだ!
僕はこの旅行を終える頃には ヒゲがボウボウできっと 見た目もワイルドになるに違いない
そう思っていたけど ヒゲが薄く…
ただの坊ちゃんのままだった
再び走り出したけど
今度はレインボー滝という素敵なネーミングの滝 こっちみたいな矢印があった
今までの僕ならば 素通りしただろうけど
僕は変わった ルートを外れて行ってみることにした

10分も行くと滝があり 数人のカナディアンが散歩していた
自転車を置いて ついて行った
10代くらいの可愛い子いたし 言葉わかんないけど
とりあえずニコニコしておいた
いろいろとポイントを変えて説明されたけど まあ
だいたい意味がわからなかった でも
意味がわからなくても
その場をうまく乗り切る そういう能力は
かなり身に付いていた 楽しかった。
お父さんが一番ノリノリだったけど

お父さんはどうでもよかったんだけどね
再び走り出すと

貨物列車やら

貨物列車やら
貨物の運転手はヒマなのか
必ず僕を見ると大音量でクラクションを鳴らして手を振ってくれる
大好きだ
繰り返し山とスペリオール湖と

夕方になり
なんだか自由になった僕は
ひと目につくけど 展望の場所でみんなテントを張ってるのを見かけたので
誰もいないポイントを独占して
テントを張った

今日もここの景色は独り占めだ
この時期のカナダは夜の9時を過ぎても明るいので
何時間もかけて かもめに接近した
はじめは10mくらいあった距離が 最後には1mまでになって

テントの入口まで来るようになった
一瞬だけど
これって焼いて食ったら
って
41日目 (走行25日目)
RossPort~Marathon(手前)112.2km
おまけ…
一人じゃさみしいでしょって友達が髪にバリカンで書いてくれた

ハンサムネコ

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